喜多町だんじり屋台蔵
シャッターに描かれている図柄は、法被とお揃いになっていますね。
シブいです。
ちなみに平成24年(2012)に集会所とともに新築されています。
喜多町だんじりの歴史
喜多町だんじりは、藩政期からの歴史があり天明六年(1786)の『磯野歳番諸事日記』の「御渡行列式」に北町として記録されています。
明屋敷屋台と呼ばれていたこともあるそうです。
喜多町は明屋敷分(旧武家屋敷)の飛び地であったのですが、武家屋敷地区にもだんじりがあったのですね。
喜多町だんじり屋台蔵はどこにあるの?
喜多町の歴史
喜多町は西条藩時代は歩町と呼ばれ、下級武士が居住していた地域だったそうです。
そのため現在も明屋敷番地となっています。
元々は上歩町、下歩町と呼ばれており、現在の集会所兼屋台蔵のある交差点の南が上歩町。
北が下歩町だったのでしょうか?
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